十六夜月

顕光はずるり、と音を立てて道満の部屋に現れた。道満は既に寝床に入っており、しんとした空気が顕光を包む。
 顕光はまだ後悔していた。道長を呪ってしまった。酒も入っていたとはいえ、気を良くした道長の呟いた和歌だけで呪うなど。完全にマスターからの信頼を無くした。顕光は短く溜息をつき、寝床で横になる道満の隣に立った。
「あの程度耐えられたはずだというのに」
 呟く声が聞こえたのだろうか、眠っていた道満の目が開いた。
「道長公を呪いましたか」
 わかっていたのか、と思念を送れば「まさか、」と答えた。道満は体の節々が痛むのか、ゆっくりと起き上がり顕光の顔を見た。体の所々が呪いに侵され変色している。札を破る前に溢れ出てしまった呪いが道満の体を蝕んでいるのだろう。悪霊らしからぬ良心が痛む。
「札を破られるとは、それ程までのことを言われましたか」
 いつもの笑みで笑う彼を見て目を背けた。僅かな沈黙が重々しい。激怒した衝動はまだ残っている。握り締めた道長の首の感触も。苦しむあやつの顔を見て高揚した気分も。己に対しての嫌悪感も。
「顕光殿、こちらへ」
 両の手を広げて道満は優しく微笑む。それは蝶を呼び寄せる花のように可憐でもあり、蝶を捕らえる蜘蛛の巣のように妖艶であり……否、己が蝶などと思ったことは一度もないのだが。
 ああ、そなたには敵わない、顕光はそう思いながら道満に倒れ込むように体を預ける。道満といる時だけ、ほんの少し、瞬きのような間だが心が安らいでいられた。
「顕光殿、今は眠りなされ。この所起きている時間が長くありました。道長公ともよく会い、自覚のない内に疲れておられたのでしょう。拙僧の中で眠りなされ。眠れば少しは気分も晴れるでしょう」
 道満が、とん、とんと母親が子の背をたたき寝かしつけるような真似事をする。眠気などは無いが、目を瞑れば道満の中へ戻ることは出来る。体をズブズブと道満と溶け合うように沈める。道満の中は慣れ親しんだ悪態の数々と呪いにまみれた、まるで私の為にあるような場所だ。沈みきってもまだとん、とんと拍動のようなリズムを感じる。道満が己の腹でも叩いているのだろうか。だとすれば、それはまるでまだ生まれぬ子の誕生を待つ母のようではないか。まあ、子などおらぬ訳だが。
 顕光は伝わってくる拍動に心地良さを感じながら、ゆっくりと目を瞑った。
「ゆっくり、お休みになってください」
 道満は己の腹をとん、とたたいた。

 深い眠りについた顕光を起こすのは道満の呼び声のみ。それ以外は何人たりとも眠りを妨げることは許さない。
 道満は顕光の沈んだ腹を小一時間経過した今もたたき続けた。流石に満足したのか、腹から手を離しゆっくりと柔らかいベッドへ身を投げる。サーヴァントに睡眠は不要。なれどこの身に受けた呪いに耐えるのは体を丸めたほうがいい。獣のように背を丸め蹲る。長い髪はそれこそ獣の尾のようだ。
 マスターが道満を周回によびにくるまで数刻程時間はあった。それまでに呪いを隠せるほど軽減しなくてはならない。身の内を巣食う顕光の怨、非常に名残惜しいが解呪する必要がある。道満は心の底から残念がる表情を浮かべ、解呪を始めた。

「顕光殿!お目覚めを!」
 深い眠りから起きる。目覚めればそこは京であり京でない場所。見慣れた景色の中に、サーヴァントを睨む視線が三つ。それが何か、はどうとでもいい。呪いで殺す。それが顕光の呼ばれた理由。標的を視界に入れそれに向けてありったけの怨念をぶつける。黒く塗り潰された太陽を模したそれはあたりを焼き尽くす。それに雑魚は耐えきれず、死に絶え、僅かに残った命を獣に変え喰らい合わせる。そうした様を見ると少しばかり胸がすく。
 血が飛び散る。自我を無くしたそれらを観ているのは、この世のどんなショーより愉快だった。
「顕光殿っ!」
 焦る道満の声で獣のひとつが牙をこちらに向けたことに気がついた。避ける為に体を動かすが、サーヴァントのようにはいかない。紙の破れる嫌な音がする。式札に僅かに獣の牙が届いた。

 獣如きが、私の札を傷つけた。

 耐え難い怒りが胸の内で渦を巻く。増悪のままに殺さぬよう、じわりじわりの足先から腐らせていく。人のような獣の断末魔は心地好いが……足りない。この怒りを鎮めるには足りなかった。そのまま周りの獣達も巻き込む。愉快なショーは己の手で潰され、皆つまらない肉塊に成り果てた。
 周りのサーヴァント達は口を閉ざしてその様を見つめ、道満の主人は何処か戸惑った様子を見せる。
「顕光殿、申し訳ありませぬ」
 気がつけば道満がそばに立っていた。
「拙僧の不手際です。式札は後程、新しいものをこさえましょう」
 怒りのまま呪いを奮った顕光とは対称的に、道満は極めて落ち着いていた。辺りのエネミーはこれで最後だったのか、周りのサーヴァント達は帰還の準備に入っている。であればもう、外に出ている必要は無いだろう。顕光は静かに目を瞑り、道満の中へ戻る。

 道満の中は深い沼のようだ。深い深い憎悪の中へ沈み込む。悲しみ、憎しみ、嫉みが身体を包み込む。ここにいると昔のことを思い出す。
 嘲笑され、何も成せず無念の死を遂げ、死して尚、道長を呪ったとまことしやかに噂された。愚かさを人々に笑われ続ける様は正に道化のようだ。
 至愚之又至愚也。
 非常に遺憾ではあるが、道長のこの言葉はそのまま甘受するしかなかった。
 この呪いは道長から見れば八つ当たりの様なものかもしれない。自分の意思ではなく、死後言われ続けた噂により後付けされた憎しみかもしれない。だが、それでいい。この憎しみがある限り、道満が呼ぶ。この憎しみがある限り、道長を呪い続ける目的ができる。この憎しみが今の顕光の存在意義であり、自分を一番強く縛る呪いだった。
「道長……」
 深い憎悪を汲み上げる。先程の出来事で高まった怒りがまだ腹の中で渦巻く。激情を体の中に収め、ゆっくり、ゆっくりと混ぜる。やがてどろりと顕光の中に生み出された呪いは、体に蓄積されていく。
「道長ぁ……」
 呪いを積み上げる。口で憎き彼奴を呼びながら、心の底から呪いながら、吐き出しもせず溜め込み続ける。骨の体がひび割れるように悲鳴を上げても溜め込み続ける。どうせ式神の体だ。すぐに治る。
 カルデアにいる道長を思い浮かべる。今頃呑気に甘味でも食べているはずだ。その道長の顔を歪めたい。彼奴が己の娘の死を味わった時のような顔にしたい。彼奴を地獄へ突き落としたい。呪いたい。苦痛に、悲観に、喘ぎ苦しむ道長を。我が手で。
 顕光は道満に呼ばれる時まで憎悪を煮え滾らせる。その恨みが、憎しみが、今の顕光には酷く心地良い感情だった。

「顕光殿、お目覚めを」
 普段より幾分小さな声で呼ばれる。
 目を開ければそこは道満の部屋の中。寝床で向かい合うように顕光は呼ばれた。道満はいつも通りの表情を浮かべている。手には顕光の式札と同じものが新しく用意されていた。
「さて、その式札から此方へ変えましょう」
 そう言って顕光の顔を覆い隠していた式札をとり、素早く新しいもので顔を覆う。ぶつぶつと複雑な言葉を呟き、それと同時にふだを通して道満の魔力が流れるのを感じた。
「ふむ問題なく繋がったようです。これにて今日やるべきことは終いですなぁ……」
 古い式札を破り捨て、やることをなくし暇を持て余した道満がンン、と悩むような声をあげた。顕光はもとより予定などない。これから子供のサーヴァントらのもとへ行っても良いかもしれないなどぼんやり考えた。
 すると道満が体を擦り寄らせてきた。獲物を見据えた獰猛な肉食獣のような瞳で顕光を見据えている。
「顕光殿、拙僧先程の戦闘から体が疼いて仕方がないのでございます……」
 お情けを頂戴したく。そう言った道満は顕光を寝床へ押し倒した。式札に隠されていた顔を暴き、憎悪のほむらで包まれた頬に口をつける。熱く、呪いも乗った炎に嫌な顔ひとつせずそのままうなじまで這うように舐める。
 しかし、いくら昂ったからと言え骨しかないような悪霊に欲情するなど顕光には理解しがたかった。
「おかしなことを思われるのですね、拙僧は以前より顕光殿をお慕いしていたのに……」
 頬を染め、妖艶な笑みを浮かべている。あからさまな誘いに溜息が出そうになる。肩を試しに押してみるがびくともしない。
 やめなさい、と伝えるがニコニコと笑みを浮かべたまま魔力を流し込み始める。流れ込んだ魔力は顕光の体を変容させ、骨盤と繋がって造られた袴の股に女陰が形成される。
「そう言えば、生前顕光殿に夜伽の相手していただいた時にはこちらは無かったと思いまして……」
 女のように犯したいと申すのか、道満に問えば「はい」と微笑んだ。仮にも左府である顕光にそのような無体を働くのはこの男ぐらいなものだと諦める。
 抵抗をしなくなった顕光殿に笑みを深めると、式神を使って手早く爪を短く切り揃える。式神の無駄遣いではないのか、などと現状から目を背けるようなことを考えながら道満の好きなようにさせる。道満に取り込まれてから、この霊基に既に二つの神が取り込まれていることに気がついた。その一つが女神であった。このことが顕光の体に女の胎を植え付けることを可能にしたのだろう。
「おや、情事の最中に考え事ですか」
 するする、と体を撫で回す。脊椎に爪で軽く引っ掻き、肋骨を舐め尽くす。骨までしゃぶる、とは欲を満たすために徹底的に利用することだが、それを現実で、それもこのような形で味わうことになるとは。
 思考をやめない顕光に痺れを切らしたのか、道満は閉じられた女陰に手を伸ばした。
「顕光殿は最近道長公ばかり気にかけておられる……。それだけで拙僧は嫉妬で焼き切れそうだと言うのに……」
 縋るように顔を近づけ、乞うように言の葉を紡ぐ。一見、情愛にも似たその感情は地獄のそこより深い執着と支配欲からきているものであることはわかっている。決して愛情などという高潔なものでは無かった。
 道満の指が股の狭間にある小さな突起を弄ぶ。大きく太い指のはずなのに、器用に小さな突起をこね、押し潰し、弾く。生前なかったそれは顕光の知らない快楽を多く拾う。痙攣する顕光を道満が舌舐めずりして眺める。
 ある程度楽しめたのか、道満が小さな突起から手を離し、そのまま下へ指を滑らせる。女陰はすでに濡れそぼっており、道満はその割れ目に小指を入れた。
「んぐっ」
 初めてものを入れられたそこは強い圧迫感と痛みを顕光に伝える。特に指を動かすわけでもなく、単純に出し入れしながら「狭いですねぇ」と道満が愉快そうにつぶやいた。
 小指とはいえ初めて受け入れるにしては大きすぎる道満の指はいつまで経っても快楽に変わることはない。
「やはり手間がかかりますなぁ……。ふふふ、顕光殿を初めて抱いた時もこのようでしたねぇ……」
 小指を動かして膣壁を刺激する。圧迫感は少なくなってきたがまだ快楽は伝えてこない。まだ全て小指が入り込んでいなかったのか、さらに深く入り込んでくる。ぐっ、と奥を突かれた感覚があった。ぼんやりとした頭で子袋の入り口に触れたことがわかった。その奥を円をなぞるように触る。わずかに、腹の奥が疼く感覚がした。
 道満が重点的に刺激してくる。押し込み、なぞり、好きなように弄ぶ。ずくり、とした快楽が徐々に大きくなり、内心顕光は焦った。これはいけない。抵抗をする気はなかったが、今更とも思えるタイミングで顕光は快楽から逃れようと腰が動く。
「今更逃れられるとお思いで?」
 道満の片手が腰を掴む。顕光は身を捩るが体は全く動かない。くすくすと笑う道満の顔を式札越しに睨んだ。
 小指は抜かれ、これで終わりかと思ったが、今度は差し指が入れらえた。先ほどより太い指が奥を刺激する。鈍い痛みと快楽に襲われる。
「やはり、あまり広がりませんねぇ」
 仕方なし、というと顕光の女陰よりさらに下に触れた。魔力が再び注がれ、菊門が作られた。小さく閉じられた顕光の菊門は柔らかく道満の指を呑む。そこに入れられた途端、顕光は大きく体を震わせた。生前、道満の男根を受け入れられるように拡げられたそこは、易々と道満の指を二本呑み込んだ。
「こちらの具合はよろしいようですなぁ?」
 ガクガクと体を痙攣させながら、唐突に与えられた強すぎる快楽に耐えようとする。目の前が白く瞬き、大きく体が跳ねた。
 道満が男根を顕光の菊門にあてがう。
「さて、顕光殿……、夜はこれからにて」
 妖艶な笑みを浮かべ、肉食獣のように獰猛な視線を顕光に向ける。顕光は道満は本当に変わらないと思いながら身を預けた。
 
「顕光殿ぉ、気持ちようございますねぇ?」
 何刻程時間がたったのだろうか。数分かもしれないし、もう何時間もたっているのかもしれない。何度も対位を変え、何度も責められ、顕光は力なく耐えることしかできない。
 ぼんやりとした意識で終わるのを待つ。道満の息がわずかに荒くなる。
「顕光殿っ拙僧の子種を中に出しても?」
 縋るように見つめてくる漆塗りの瞳に、特に躊躇いもせず頷いた。笑みを深めた獣は返事もせず顕光の体を抱擁し、深い場所で精を吐いた。
 何も語らず、道満にきつく抱きしめられる。道満の男根は取り除かれ、菊門がぽっかりと空いて痙攣したようにひくひくと動く。指が立てられ、爪を切っていなければ傷を作っていたなと、霧に霞む頭で考える。
「顕光殿、道長公に報復したいでしょう」
 何を今更なことを、と問えば「報復したいにも呪うことはマスターに禁止されている……であれば、他の方法で道長公を苦しめれば良いのです」と、妖しげな声色で囁くように説いてくる。他の方法といっても、顕光は呪う以外に能がない。まだ霧に霞む思考は何の答えも見出せない。道満も顕光が分からないのを悟ってか、再び耳元に口を寄せる。
「悪夢を、お見すれば良いかと」
 それは呪いと変わらないのでは。
「ンンン、いいえ、直接サーヴァントにダメージを与えるわけではないので問題ないかと!」
 そんな屁理屈が罷り通るのか、と呆れながら問う。そんな様子を見て道満は言葉を続けた。
「確かに、道長公でなければ通じぬでしょうなあ。ですが、先日のこと、マスターにも配下にも伝えておらぬ様子。であれば、ある程度手を出しても問題ないと考えて良いでしょう」
 彼奴はマスターに伝えていないのか?顕光は困惑した。今回の出来事は道長も要因になっているとはいえ、呪ったのは顕光である。理解しかねる、が、確かに都合はいい。あれがマスターに話すつもりがないなら、そこにつけ入らせてもらおう。
「もしマスターに見つかった際には、拙僧が道長公を呪うように仕向けたといっても良いですぞ?」
 冗談めかしてくる道満に、ふふ、と笑った。
 ああ、どんな悪夢を見せてやろうか。情事からしばらく経ち、少し澄んできた思考で、悪夢に苦しむ道長に想いを馳せた。